JOURNAL

  • MW

    2025年1月17日(金)タンペレ

    サラ・ヒルデン美術館 Sara Hildén Art Museum、2日目。2018年にも訪れたことがあるので2回目である。実業家でフィンランド屈指のコレクターであったサラ・ヒルデン(Sara Hildén 1905-1993)が1979年に設立した美術館で、ミロやフランシス・ベーコン、ピカソから現代美術まで5,000を超えるコレクションを誇る。

    この美術館で、ルート・ブリュックとタピオ・ヴィルカラの娘で、アーティストのマーリア・ヴィルカラの個展「MAARIA WIRKKALA: BACK FOR A MOMENT」が行われているのだった。閉幕を数日後に控えて、館内は多くの人で賑わっていた。併設の「カフェ・サラ」には、特別にルートの陶板がたくさん飾られていて、思いがけず、日本巡回で展示した懐かしい作品たちと再会した。

    (サラ・ヒルデンが美術品を蒐集するきっかけとなったのがルート・ブリュックの作品だったといわれている。以来、家族ぐるみの親交がある)

    カフェ・サラで、マーリアとコーヒーを飲んでいると、展覧会を見た人たちがやってきてマーリアに声をかけた。それぞれ、展示の感動をどうしても作家本人に伝えたい、という気持ちをおさえられない様子だった。マーリアは「内気なフィンランド人はあまりそういうことはしないのに」と言ったけれど、展覧会の感想だけではなく、なかには自らのつらい身の上話を打ち明ける人もいた。

    スツールを持ってきて、マーリアと同じテーブルに座った女性は、長年マーリアの作品や展覧会を見てきたファンで、過去の作品と比較しながら、どこがどのように変わったか、独自の分析を披露していた。別の女性は「ルート・ブリュックの影響を受けて、私も陶芸をやるようになったの」と、どこかルート作品の面影をたたえたレリーフをバッグから出して見せた。

    少し、マーリアは疲れているように見えた。知らない人たちから握手を求められ、生の声に直接触れるのはしんどいのではないだろうか。ティモに「マールは大丈夫かな」と尋ねると、「少し疲れているかもしれないね。でも、それより、自分の展覧会がもうすぐ終わってしまう寂しさもあるかもしれない」と言った。

    確かに、昨日からマーリアは「最後の展覧会だから」「もう二度とない」と繰り返していた。私も、毎回「これが最後」と思いながらプロジェクトに取り組むので、終わる寂しさというのはなんとなくわかる。

    マーリアは、ここで起きることは一瞬でも逃したくない、という様子だった。館長室を借りて、ティンニが買ってきた中華のテイクアウトで昼食を済ませて、再び展示室へと戻っていこうとするマーリアの背中に、ティモは「勇敢な人」と声をかけた。

    同じ瞬間は二度と訪れない。

    マーリア・ヴィルカラがつくる作品の根底にある、シンプルで力強いコンセプトだ。セラミックを学び、アーティストとしてのキャリアを開始したマーリアは、瞬間を記録するためにカメラを手にした時があった。カメラ好きだった父タピオの影響かもしれない。特にタピオの写真をたくさん撮った。ところが1985年、愛する父の死によって、深い悲しみと共に、時を永遠に留めておくことはできないことを知った。その時からより本格的に、サイトスペシフィックな作品、つまり、そこにしかない瞬間 moment と場 place に専念していくことになる。

    マーリアは、越後妻有アートトリエンナーレや北アルプス国際芸術祭など日本の国際芸術祭にも度々招かれ、参加している。彼女が生み出す瞬間と場は、展示が終われば撤去され、あとかたもなくなる。どこか演劇やパフォーミングアーツなどの時間芸術にも似ている。作品は形を失い、実際に見た人の記憶にのみ留まる。永遠も、再生もないのだ。ただ、あらかじめ決められた終わりに向かっていく。それだからなのか、マーリア・ヴィルカラの作品はいつも哀しみをたたえている。

  • 旅の途中

    10月18日は、ルート・ブリュックの110回目のお誕生日でした。

    10年前の2016年の春にフィンランドに行き、エスポー近代美術館(EMMAに)で生誕100周年展の準備室を“たまたま”視察したことがきっかけで、日本で初めてのルート・ブリュック展につながりました。10年というのは長いようで短い。今でも、EMMAの準備室にところせましと並べられた、目を見張るようなセラミック作品との出会い、そして、ルートの娘で、美術家のマーリア・ヴィルカラとの出会いを、昨日のことのように思い出します。そこから続くタピオ・ヴィルカラ展まで、奇跡のような出会いと思いの連鎖によって、なんとか道が切り拓かれてきた10年でした。

    実現できたことの裏側で、力不足でできなかったこと、悔やまれることも同じくらいあります。多くの方に助けていただきながら、決して、関わってくださった全員が笑顔だったわけではないのです。フィンランドの知られざる至宝を日本で初めて紹介するという使命感を胸に、ひとつひとつの峠を登り、登った先にまた別の峠が現れるという日々で、正直、まわりの風景を楽しむ余裕などありませんでした。

    一方、私個人にとっては、花の妖精かお姫様のように、可憐で繊細な感受性でひらひらと羽ばたく芸術家であったルート・ブリュックの面影を、ひたすら追い求めていく旅でもありました。展覧会の企画制作としてはそこまでしなくてもいいのですが、プライベートで、フィンランドのヘルシンキやタンペレ、イナリはもちろん、ルートにとって心の故郷であったイタリアのフィレンツェやヴェネツィアにも行きました。ヘルシンキを訪れるたびに必ず立ち寄る市庁舎では、巨大なレリーフ《City in the Sun》の前に立って、言葉のない会話をするのは至福の時間でした。

    ルート・ブリュックさん、お誕生日おめでとう。私はこれからも、もっともっと、あなたを追いかけていきたいのです。まだ、この目で見ることのできていない、どうしても見たい晩年の大作があって、その前に立つまでは、私の旅は終わらないのだと思います。

  • 絵本の可能性

    きくちちきさんは、高円寺の書店「えほんやるすばんばんするかいしゃ」の荒木健太さんと、装幀家のサイトヲヒデユキさんと一緒に、何冊か絵本をつくっています。私は、荒木さんが「プロトタイプ」と呼んでいる、一連の取り組みについてとても興味深く見てきました。

    なかでも印象的だったのは、『よたか / Chase』(2022年)です。荒木さんが「一枚の絵本」というコンセプトを立て、ちきさんが2点の大きな原画を描き、それをサイトヲさんが自由に再構成して絵本をつくるというプロジェクトでした。1枚の長い紙を蛇腹に折った絵本は、片面に『よたか』、もう片面に『Chase』を収録しています。

    絵本を描く人、デザインする人、届ける人。三者の信頼と役割があって実現した、新しい形式の絵本を見たとき、私は、これは絵本づくりや流通のあり方、新たな読み手まで、絵本の可能性を探求するアートプロジェクトなのだ、ととらえました。絵本というジャンルを再定義する試み、広義における絵本のリ・デザインといえるかもしれません。

    こうしたプロジェクトを経てきたちきさんだからこそ、今度は展覧会という機会を通して、またひとつ、絵本の新しい可能性を切り拓いてくれるかもしれない、と思いました。展覧会という「場」と「絵本」がどのようにつながるのか。そして、どんな読み手(鑑賞者)に、どう届くのか。もしかしたら、ちきさんご自身も、新作『いきものRhapsody』の制作をしながら、これからの絵本について、考えを巡らせていらしたのではないかと思います。現時点でちきさんと、企画制作に関わったメンバーが考えたひとつの回答、ひとつの可能性として本展をご覧いただくと、おもしろいかもしれません。

    PLAY! MUSEUM以降も、本展は全国の美術館を巡回していきます。現存作家の展覧会として、会場ごとに成長し、新しい考えやアイデアも加わっていくはずですので、私自身もとても楽しみにしています。

    『よたか / Chase』